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浜松はり灸療院の新旧の外観と昔の街並み

院のあゆみ

曽祖父の代から続く歩みと、今へ受け継いだ治療のかたちをご紹介します。

受け継いだ技術と思い。

創業

昭和初期

山本壽作が浜松で創業

昭和初期、初代・山本壽作が静岡県浜松市で「濱松の灸はり」を掲げ、鍼灸業を創業しました。

先代 山本重美が鍼灸の道へ

家業を手伝いながら鍼灸を学び、昭和11年に灸術、翌昭和12年に鍼術の営業免許を取得。壽作のもとで鍼灸治療に携わるようになりました。

創業者・山本壽作

創業者・山本壽作

屋号は「濱松の灸はり」。地域では「あごひげを蓄えた壽作先生」から、「お髭の灸」とも親しまれていました。

先代・山本重美

先代・山本重美

山本重美の灸術試験合格証
山本重美の鍼術試験合格証

​鍼灸術合格証

復興

昭和20年代

​戦後、本院を再興

昭和20年の​浜松空襲で本院を焼失。昭和22年、浜松市木戸町に本院を再興し、島田・静岡に出張所、山梨町の用福寺に灸堂を設けるなど、診療の場を広げました。

静岡出張所を任される

先代・重美は静岡市大岩宮下町の出張所を任され、診療にあたりました。

戦後の本院再興と出張所開設を知らせる案内

​戦後復興の案内

先代・山本重美

先代・山本重美

山本重美の鍼術営業免許証

鍼術営業許可証

戦後の出張所開設を知らせる案内

​出張所開設の案内

山本重美の灸術�営業免許証

灸術営業許可証

​独立

昭和20年代後半

東京へ

独立を志して単身東京へ。南千住で開業し、ほどなく東尾久へ移転。新たな拠点とし、現在へ続く歩みが始まりました。

「浜松の灸はり」の手書き広告下書き

​手書広告の下書き

東尾久本院前に立つ先代・山本重美

先代・山本重美

東尾久本院前の風景

東尾久本院前の風景

昭和中期の東尾久本院

東尾久本院

隆盛

昭和中期〜平成

​越谷に分院を開設、

その後竹ノ塚に移転

東尾久本院での診療を続けながら、埼玉県越谷市に分院を開設しました。
その後、分院を足立区竹ノ塚へ移転し、東尾久本院と竹ノ塚分院の二拠点で診療を続けました。

​家族で治療院を支える

三代目も診療に携わり、家族が患者対応や院の運営を支えました。
先代・重美は本院を中心に分院にも赴き、長年にわたり両院で診療を続けました。

浜松はり灸療院 越谷分院

越谷分院

浜松はり灸療院 竹ノ塚分院

竹ノ塚分院

東尾久本院の外観

東尾久本院

研修会で講師を務める先代・山本重美

​研修会の講師を務める先代

継承

平成〜令和

東尾久本院の区切り

平成23年、先代・重美が第一線を退き、東尾久での診療は区切りを迎えました。竹ノ塚では、その後もしばらく診療が続けられました。

四代目が荒川二丁目で開院

平成26年、現院長が荒川区荒川二丁目に浜松はり灸療院を開院しました。先代から受け継いだ鍼灸と関節調整を土台に、新たな歩みを始めました。

薬業への展開

平成30年、置き薬事業としてサクマ医薬品を開業しました。令和3年には店舗販売業へ移行し、鍼灸院に隣接して浜松薬品店を開設しました。

晩年の東尾久本院

晩年の東尾久本院

荒川二丁目の浜松はり灸療院(平成26年開院)

荒川二丁目の浜松はり灸療院

(平成26年開院)

浜松薬品店(令和3年開店)

浜松薬品店

(令和3年開店)

相談する男性と薬壺のやっこさん

祖父のもとで学び始めたこの技術は、派手ではありませんが、「その一手で、変わる」瞬間に、何度も立ち会ってきました。

整形外科や内科に勤務する中で改めて感じたのは、

どんな医療にも、“届かないところ”があるということ。

だからこそ、話すこと、触れること、感じ取ることを大切にしながら、ここを「相談できる場所」として開いていたいと考えています。

伝統を、革新へ

浜松はり灸療院では、受け継いだ治療技術を土台に、

身体の見方と治療の組み立てを独自に整理してきました。

シゲヨシ・メソッド ロゴ

継承された独自の治療法 

シゲヨシ・メソッド

先代から受け継いだ、関節・神経​から局所の症状を捉える技術

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体表反応から捉える

当院の東洋医学解釈

​当院の体表反応解釈を東洋医学的に整理した、独自の解釈

薬壺から顔を出すオリジナルキャラクター「やっこさん」

オリジナルキャラクター

やっこさんの世界

鍼灸や漢方への不安を和らげ、身近に感じてもらうためのキャラ

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